WHITE ALBUM2







話題沸騰のWHITE ALBUM2をコンプリート。






初代WHITE ALBUMから13年、まさかの佐藤博暉脚本によるアニメ化から2年、最後に待ち構えていたのは、まさかまさかの丸戸史明シナリオによる完全新作『2』でした。


やり始めたが最後、ラストまで突っ走ってしまいました。
ごくごく稀にそういったクリックゲームに出会うことがあります。





[1/21:追記]


実はこのエントリーを上げた時、一緒に感想も書こうと思ったんです。

しかしながらどうしても出来ませんでした。登場人物と物語の錯綜が著しい上に、先を急いでかなり流しプレイしてしまったために、うまいことまとまらなかったんですよ。



あまりの悔しさにもう一度プレイしてしまいました。音声のみで雪菜シナリオを流しっぱなし。



そんなわけで、丁寧語を省いて感想書き殴りたいと思います。
ネタバレを過剰に含みますので、行間を空けます
























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/思いやりとエゴ





三角関係モノの金字塔「君が望む永遠」第二部が、過度の思いやりによってエゴを通せなくなり、遥と水月との間をふらふらさまよう鳴海孝之の物語であるならば。


WHITE ALBUM2メインの三人は皆一様に相当なエゴイズムを抱えており、それを思いやりという膜で包み込んで互いに接している。見ようによってはかなり鼻につく物語と言えるのだ。





自覚はあるがこれは暴論だ。WHITE ALBUM2は相当緻密に練りこまれた感動の物語であるということを否定しない。一切貶めるつもりはない。しかしその感動の裏側には、彼らの相当に醜いエゴイズムと脆い気遣いが絶対不可欠であると思う。




このストーリー上の特徴を一手に担うと言っても過言でないのが、大団円ルートのヒロイン小木曽雪菜だ。





第一部、既にかずさに首っ丈だった春希を雪菜が強奪する(ひどい表現だが。

雪菜は過去のトラウマから、仲間外れを極端に嫌う。春希がこのままかずさに向いてしまえば自分は置いていかれてしまう。だから春希をつなぎとめた。そう説明するのである。


だが当然そんな供述は嘘っぱちだ。それが真実であるならば、学園祭終焉後に二人きりになったかずさに「そんなのってない」と言うのか。空港で脇目もふらずにかずさに向かっていった春希に対してあそこまで涙するのか。


しかし、「三人でいたい」という言葉にはもう一つ言外の、ポジティブな意味がある。


雪菜のエゴイズムのもっとも面倒なところは、春希を自分のものにしたい、という心とみんなが幸せでなければ嫌だ、という心の両方を臆面もなく掲げてしまうところなのである。


彼女の「三人でいたい」は、「みんなと幸せに笑いあっていたい」というもう一つの欲望の表れなのだ。



雪菜の抱える矛盾じみた感情は、第一部の劇中でかずさに看破されてしまう。クリスマスの夜、旅館での語らいのシーンがそれだ。かずさははっきりと言う。「それは自己中心的だ」と。まだ学園生だった雪菜はその指摘に、最後まで曖昧な反応しか見せなかった。




そして第一部の終り、春希に裏切られ、目前でかずさとの深い絆を見せ付けられた雪菜は、彼を責めないことを選択してしまう。

それは彼を失う恐怖という名の独占欲であり、ここで彼を責め、放逐し、不幸にしてはならないという気遣いでもあった。



雪菜は春希を責めるべきだった。「何故裏切った」と。「そんなにかずさが好きなら一緒にウィーンにでも行ってしまえ」もしくは「あんな女は忘れろ。私がお前を幸せにしてやる」と言えばよかった。そうすれば春希は罪悪感を持ったまま雪菜をもてあまさずに済んだ。

もちろんそんなことをすれば「はいそうですか」で物語が終ってしまう。
この、なんとも言えない苦い選択が、物語を重厚にするのである。




第二部に話を移そう。



雪菜ルートを進めていくと、雪菜はより内心の見えにくいキャラクターになってしまった。

どれほど春希を気遣おうとも、彼は自分をもてあます。愛しているのにすがることも出来ない。気遣わなければ、という義務感と自分の感情に嘘をつき続ける過程で磨耗し、ついには春希そのものを失ってしまえばいっそ楽になれるかもしれない、という領域まで来ていた(中盤の「もう振ってよ…」がその表れか)


一応第二部Closing chapterでは、どのヒロインを選ぼうとも、雪菜とのクリスマスイベントは通過しなくてはならない。「おもしろおかしい記事にして利用してやるくらい、自分の中でかずさは思い出になってしまった」と嘘をつく春希。そんな『雪菜に向き合うための苦し紛れの嘘』を与えられると、今度はまた別の感情が噴出してしまう。

あのホテルでのエピソードをまとめるなら、「記事の中でさえかずさに惚気まくっているのに何を言ってる。今まで私を散々放っておいて、私に気遣いだけさせておいて、嘘をついてまで好きだと言うな」と主張しているわけだ。

至極最もな主張だが、それなら第一部での彼女の非もまた、責められるべきだろう。



第二部雪菜ルートをプレイしていてもっとも戦慄したのは、このクリスマスイベントの後、二年参りの酒盛りシーンで依緒が雪菜に対して切れるところだ。
上述したことと全く同じ指摘が依緒の口から発せられるのである。



この後雪菜との電話で春希の口から「それでも雪菜が大好きだから」という言葉が飛び出し、一応落着するのだが、彼女の問題は未解決のまま置いておかれる(この時点で春希の感情は一応決着している)。




彼女に転機を与えるのは春希ではない。
友人である依緒や武也でもない

そのキーマンこそが柳原朋である。



ありていに言えば、朋は雪菜の化けの皮を引っぺがしたのである。
周囲に対して取り繕う余裕をなくさせた。歌を忌避する逃げ場をなくさせた。

エゴを隠したいい人でいられなくさせたのだ。


朋自身はそのことに対して自覚があるわけではない。彼女はただ、雪菜と友達になりたい、雪菜に歌って欲しい、という一点でのみ行動している。しかしながら、友人に対して悪意も善意も含めて感情を剥き出しに接するという経験がなかった雪菜にとっては革命的な人物だったのだろう。

春希はそれを嬉しそうに「悪友」と称したわけだが。


朋によって変革した雪菜は、今までたまった鬱憤や愛されたいという願望をどんどん春希にぶつけるようになった。バレンタインコンサートを経過後はもう留まることなく愛情をねだるようになる。今までのゆがんだ気遣いはなりを潜め、等身大の小木曽雪菜が顔を出すのである。


この痛快な成長をもって第二部の雪菜ルートは終了する。






そして最終章、codaの雪菜大団円ルートについて。

もうほとんど書くことがない。


第二部から二年を経て、雪菜は相当に成長している。春希の嘘に腹を立てる。かずさへの愛情をごまかすために自分に逃げる春希を叱咤する。彼女は素直に自分への愛情を求めてくる。


それに留まらず、第三部での彼女はもう一つの欲望を全開にしてくる。

「みんなが幸せであってほしい」

消極的な気遣いではなく、彼女は積極的に自分の欲望をふりかざす。自分も、かずさを思う春希も、春希に囚われている雪菜も、全部救いたい。迷いなく行動する。


第二部までの駄目女を散々に見せられたプレイヤーはこの小木曽活劇とも呼べる展開に腹を抱えて笑い、涙する。

ビンタを張り合うほど本音で語り合うことができるから、それでも決して見捨てないからこそ、かずさは春希だけではない多くの人々に目を向けるようになる。


つけ加えて長らく断絶していた春希の両親にすら彼女は幸せの手を伸ばす。それが物語のラストシーンになる。




WHITE ALBUM2の大団円とは、まさしく小木曽雪菜の成長そのものを指す。


物語は中途半端な思いやりによって抑圧されたエゴによって複雑化し、
枷の外れた素直なエゴが登場人物皆を救って終了する。






恋愛三角関係モノの皮をかぶった驚嘆すべきプロット。そしてプロットに基づいたおそろしく緻密な登場人物の性格設定、伏線の張り具合。

それを説明しようとするとどうにも長文にならざるを得ないし、話があちこちに飛んで読みづらくなってしまったのは本当に申し訳ないと思っている。

しかし苦痛に耐えてこの文章を最後まで読んでいただけた方は、是非内容をふまえてIntroductory chapterからcoda雪菜ルートまでをもう一度やり直してみて欲しい。



丸戸史明のライターとしての実力は言うに及ばないが、過去類を見ないほど練りこまれた超意欲作であることがおわかり頂けると思う。
一人でも多くの人が、この物語を楽しんでくれますように。








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