アイマス劇場版感想

ブログを丸一年以上放置したことに自分でもびっくり。



2013年はpixivの更新もほとんどできず(ぎりぎり月一程度)腐ってたんだけども、年末にへろへろになりながら作った同人誌を持って久々のコミケに参戦。「もはや需要などありようもない」と部数を絞った結果、予想外の来客数でとっとと完売。身内に配る分も確保できずという嬉しいやら悲しいやらの結果に終わった。

来てくれた人ありがとう、見本立ち読みさせただけの人ごめんなさい。



夏コミも参戦予定なので、次こそはきちんと情報をまとめて発信していきたいと思う。モバマスと艦これ…2種類できたらいいなぁ。




前置きを終えて久しぶりのブログ更新である。

というのも、久々に映画を見て感想をまとめておきたいと思ったから。




アイマス劇場版がくるぞー by mina on pixiv



劇場版アイドルマスター 輝きの向こう側へ


今現在3週目に突入するものの、地元の映画館では列整理が必要なほど行列しているらしい(もちろん特典目当てなんだろうが)。





結論から言えば、アイマスアイマスたる要素を突き詰めたファン映画だった。あまりにもスタッフの愛が重すぎて食傷気味になるかと思ったくらい。テレビ版の流れを継承しつつ、より深い、"アイマスの業”とも呼べる部分に踏み込んだ描写は圧巻だった。



ではこの”アイマスの業”とはいったい何なのか。




/キーワードは団結



アイドルマスターを語る上で決して欠かせない二文字がこれだ。
劇中の春香の言葉を借りるならば「みんなで一緒に」という表現があてはまる。



アイマスのTVアニメは前半で個々のアイドルの成長と、初のホールコンサートを全員で乗り越えるという目標のための団結が描かれる。これはアイドル一人一人にとっても必要なプロセスとして描かれるため視聴者としても一切ひっかかる部分を感じない。


しかし、アイドル一人一人が個人的に成功していけば、当然のようにスケジュールは合わせ辛くなる。各人の得意な仕事も細分化され、必然的に顔を合わせる機会が減る。


当然商売人気の差も現れてくる。作中では先行した竜宮と、実力の評価された千早、何よりもその才能がずば抜けた美希の一人勝ちは顕著でそれぞれがライバルとしてお互いを意識することになる。



これによって難しくなった765プロの団結を、春香が主体となっていかに回復していくのか、がTV版後半の主題ともいえる。





しかしながら、アイドルが個人で成功しそれぞれ別の道を行くのは現実の世界においては当たり前のことであり、みんなで一緒に、などというセリフはたわ言だと誰もが思う。アイマスに触れたことがある人間なら一度は感じたことはあるはずだ。だが逆に、面と向かって彼女たちの団結を否定されると、「それがなくなったらアイマスである必要ないじゃん」と言いたくなる。



アイドルマスターの製作者達はただ団結という言葉を垂れ流しているわけではない。AKBでは毎年恒例の総選挙を「絶対にやらない」と明言したことは有名な話だ。アイドル一人一人に優劣をつけて対立構造を作り出したり、ファン同士を分裂させるようなことは決してしない。



それを分かっているからこそ、TV版の製作スタッフはあえて団結というテーマに石を投じ、雨降って地固まる状態を作り出すことでより強固なアイマスのシンボルとしたのである。




TV版の終盤で春香はライブに向けて必死に皆を繋ぎとめようとする。一人一人の仕事よりもライブに向けて練習を、と説く春香は美希に疑問を投げかけられて固まってしまう。「自分たちは仕事ができて楽しいのに、春香は楽しくないの?」と。自分は何がしたかったのか、本当の意味で問い直す。春香の望みはみんなで一緒に仕事をすること。普段は離れていても、年に一度のライブでも、みんなそろって765プロという家に帰ること。




TV版ラストはそんな春香の望みに全員が気づき、自分たちにとっても765という家を失いたくないと自覚することでライブに向かうところで終わる。








別にこのまま終わっても、765プロはそのまま成功しただろう。だが、劇場版ではさらにその要素を突き詰めることを試みたのだ。



「じゃあ、今まで苦楽を共にしたことがない別の人たちが765に関わったときも、君たちはどんな風に団結するんだい?」





不愉快な表現になるが。今回映画にでたミリオンライブのメンバーはそのためのダシに使われたと言ってもいいんじゃないだろうか。




自分たちの常識が通用しない。自分たちと同じくらいの意思の強さを持っていない。そんな数歩後を遅れてついてくるグリマスのメンバーたちをまとめることはとても困難だった。



春香は優柔不断と言われながら、その意思はとてつもなく強固で、それを見せ付けられる人間にとっては脅威のようなものだ。何度やめたいと泣いても「アイドルって簡単に諦められるものじゃないと思う」と言う。志保にどれだけ追及されようと、可奈の気持ちを確かめるまでは譲らない。



765の他のメンバーはそんな春香のことを知っている。そんな春香が自分たちをつなぎ留めてくれたからこそ、今の自分たちがある。彼女の性格に助けられ、だからこそ彼女を一番のライバルだと思っている。




この心情をグリマスの子達が理解できなかったのは当たり前の話だ。春香はリーダーとしての責任感と自分のエゴの間に揺れ動き、美希や千早、伊織の言葉に助けられて自分のエゴをとった。この物語の解決は、春香がエゴを押し通し、言葉と行動の限りを尽くして他の子達を従わせたことによるのだ。



だが、俺はそれを悪いとは思わない。
春香の選択によって成立してきた765プロが、再び自分たちの原点を思い出しただけのことだ。
グリマスの子達はこれから道を別にする。春香の背中を見て、自分たちはどうするのか、これから考える余地がある。




人に関わり、人に何かを教えることは、一本の正解をマニュアル片手にこんこんと説くことではない。自分という人間を、自分たちという組織と仕事を提示し、その上で考えさせる。相手には理不尽に感じられても、エゴだと思われても、これは必要な行為だ。





春香と765のアイドル達はその点で自分たちの責務を果たしたのである。


俺はその深い業に向き合い意思を込めたアイドルたちと、団結という問題から一度も目を逸らさなかった製作スタッフに、ただただ賞賛の拍手をおくろうと思う。








/以下雑記


いおりんいなかったらこの映画やばかったでしょ!というくらい伊織の仕事量がずば抜けている。



春香に対しても、志保に対しても、フォローのタイミングが適切すぎて何度もGj!と拳を握りそうになった。志保の発言をたしなめる「そんな言い方してほしくなかったわ」の表現はすごい。これ、叱り方としては最上級のセリフです。



志保が春香を追及している間ずっとうつむいていた千早。あの演技は本当によかった。…おそらく昔、こんな問題が起こったときに噛み付いていたのは彼女だったろうから。春香が弱音を吐いたときもすぐに返さず、少しだけ考えて「春香のしたいように」と言えるようになった。おおきくなったなーちーちゃん。



合宿所について車を降りた響きの服を見て「青いチェックのワンピース響ktkr!!」と歓喜した瞬間、下にレギンスを履いてて落胆したこのやるせなさよ。というか衣装もかわいいし、髪形も変えてもらったし、もぐもぐ顔まで見られて響ファン大興奮だったんじゃねーか?



あまとうに大しては春香さん敬語なのね。なんか萌えた。
そのあと「チャオ!リボンちゃん」で盛大に吹いた。作画もくずれてて吹いた。





モバマスキャラでアイマス劇場版感想殴り書き by mina on pixiv



後の感想は大体↑に。






エンドロールのワンカットで凛登場。


なんとなーくだけど、シンデレラガールズは765と道を違えるような気がする。グリマスはCDにも必ず765メンバーを入れるけど、モバマスは絶対にそれをしない。765はやらないけどモバマスは総選挙をする。同じアイマスというくくりのコンテンツではあるんだろうけど、直系の子孫であるグリマスと分家のモバマスで分かれていくような気が最近すごいするのだ。

修羅の門で言うなら陸奥と不和的なカンジ。