東京都青少年育成条例について

自分mixiをやっていてあるニュースとその反応について言及したんですが、その記事をこっちにも転載しようと思います。

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「文化が滅びる」――都条例「非実在青少年」にちばてつやさん、永井豪さんら危機感
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/15/news074.html


…改正見送りになりそうだって。

http://www.asahi.com/national/update/0317/TKY201003160528.html



今回の改正案に対する批判は十分過ぎるほどなされているようなのでしません。


ただ、今回の騒動に対する気になったことを、ニュースを参考に自分なりにまとめてみようと思います。




1. 今回の規制が、表現の自由の剥奪になりうるのか。文化の衰退を生むのか。

そもそもな話、自由に何でもかんでも表現できた時代なんてあったんでしょうか。
今回のニュースで会見に参加されていた漫画家さんたちは、「漫画なんて小学生ぐらいが読むものだ」という社会通念があった時代にデビューし、活躍した作家さんたちです。

法律での規制こそありませんでしたが、常に社会的通年や常識、一般論がとてつもない抑圧となり、それを見直そう、時には粉砕しようと努力し、戦ってきた人々です。

創作というのは、常に理不尽な制約を受け、その中で戦うことで研磨されていくものだと自分は思います。たとえ今回の改正案が成立したとしても、その規制に違反しない形できちんと創作をやってのける作家さんは必ず出てきます。その程度の制限で、創作が狭められることはありえないと思うのです。

書くべきことが一つでもある奴は、どんな手段を使ってでも書きます。そして読む奴もまた、どんな手段をつかってでもそれを受容しようとします。そういうものです。

そしてその熱量は、何者かに制限された状況下にのみ生じるのではないでしょうか。


…ただ、流通できる作品がへるということで、産業へのダメージが甚大であることは否定しません。






2.表現の自由に伴う、責任について。


どうも今回の騒動、書く側、読む側の権利や自由は声高に騒がれているにも関わらず、その責任の所在に対する言及はほとんどないように思います。

何を読むかは本人の自由で、青少年の育成は、親が、教育が、国家がきちんとやるべきだという意見が大半をしめています。

…それは、認識が甘いのではないでしょうか。
誰がやるべきなのかという議論は確かに大切です。が、実際問題、誰がそれをやっているんですか?どれほどのことができているんでしょうか。
コンビニで子供が深夜にタムロしていても、大人がどなりつけて家に帰れとは言わないですよね?授業中に無断で席を立とうが、教師は子供を無理やり座らせることすら満足にできません。できない状況がそこにはある。クレームが湧き上がります。権利の侵害だと誰もが口をそろえて言います。

誰かが権利を主張することで、大切な何かが捻じ曲げられているという現状が、この国にはあると思うのです。その現状を誰かのせいにすることなど誰にもできません。

読みたいものを読みたいという欲求は理解できます。書きたいものを書きたいという欲求も理解できます。

ですが、その行動が青少年、子供たちに対してどのような影響を持つのか、われわれ読み手、書き手は創作物を通してどのように社会的責任を全うしなければならないのか。そのことに対する言及(というより自覚?)があまりないように思われて仕方ないのです。

自由であることと、放埓、無責任であることは決して一致しないと思います。


「…たかが絵じゃねーか」と言わないでください。それを作っているのも、読むのも、人間なんですぜ?








何度も何度も書き直しましたが、やはりうまく書けていない様に思います。
そして具体的に、何をどうすればいいのかも全くかけていません。








なんかおかしい。と思ったから書きました。



ぶっ壊すだけじゃなくて、作り上げることが必要な時代かもしんないよ?社会的制限って奴を。

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今回の騒動が、この問題を意識した人たちに、少しでも考える機会を与えてくれたならそれでもう目的は達成されてると思います。