アイマス劇場版感想

ブログを丸一年以上放置したことに自分でもびっくり。



2013年はpixivの更新もほとんどできず(ぎりぎり月一程度)腐ってたんだけども、年末にへろへろになりながら作った同人誌を持って久々のコミケに参戦。「もはや需要などありようもない」と部数を絞った結果、予想外の来客数でとっとと完売。身内に配る分も確保できずという嬉しいやら悲しいやらの結果に終わった。

来てくれた人ありがとう、見本立ち読みさせただけの人ごめんなさい。



夏コミも参戦予定なので、次こそはきちんと情報をまとめて発信していきたいと思う。モバマスと艦これ…2種類できたらいいなぁ。




前置きを終えて久しぶりのブログ更新である。

というのも、久々に映画を見て感想をまとめておきたいと思ったから。




アイマス劇場版がくるぞー by mina on pixiv



劇場版アイドルマスター 輝きの向こう側へ


今現在3週目に突入するものの、地元の映画館では列整理が必要なほど行列しているらしい(もちろん特典目当てなんだろうが)。





結論から言えば、アイマスアイマスたる要素を突き詰めたファン映画だった。あまりにもスタッフの愛が重すぎて食傷気味になるかと思ったくらい。テレビ版の流れを継承しつつ、より深い、"アイマスの業”とも呼べる部分に踏み込んだ描写は圧巻だった。



ではこの”アイマスの業”とはいったい何なのか。




/キーワードは団結



アイドルマスターを語る上で決して欠かせない二文字がこれだ。
劇中の春香の言葉を借りるならば「みんなで一緒に」という表現があてはまる。



アイマスのTVアニメは前半で個々のアイドルの成長と、初のホールコンサートを全員で乗り越えるという目標のための団結が描かれる。これはアイドル一人一人にとっても必要なプロセスとして描かれるため視聴者としても一切ひっかかる部分を感じない。


しかし、アイドル一人一人が個人的に成功していけば、当然のようにスケジュールは合わせ辛くなる。各人の得意な仕事も細分化され、必然的に顔を合わせる機会が減る。


当然商売人気の差も現れてくる。作中では先行した竜宮と、実力の評価された千早、何よりもその才能がずば抜けた美希の一人勝ちは顕著でそれぞれがライバルとしてお互いを意識することになる。



これによって難しくなった765プロの団結を、春香が主体となっていかに回復していくのか、がTV版後半の主題ともいえる。





しかしながら、アイドルが個人で成功しそれぞれ別の道を行くのは現実の世界においては当たり前のことであり、みんなで一緒に、などというセリフはたわ言だと誰もが思う。アイマスに触れたことがある人間なら一度は感じたことはあるはずだ。だが逆に、面と向かって彼女たちの団結を否定されると、「それがなくなったらアイマスである必要ないじゃん」と言いたくなる。



アイドルマスターの製作者達はただ団結という言葉を垂れ流しているわけではない。AKBでは毎年恒例の総選挙を「絶対にやらない」と明言したことは有名な話だ。アイドル一人一人に優劣をつけて対立構造を作り出したり、ファン同士を分裂させるようなことは決してしない。



それを分かっているからこそ、TV版の製作スタッフはあえて団結というテーマに石を投じ、雨降って地固まる状態を作り出すことでより強固なアイマスのシンボルとしたのである。




TV版の終盤で春香はライブに向けて必死に皆を繋ぎとめようとする。一人一人の仕事よりもライブに向けて練習を、と説く春香は美希に疑問を投げかけられて固まってしまう。「自分たちは仕事ができて楽しいのに、春香は楽しくないの?」と。自分は何がしたかったのか、本当の意味で問い直す。春香の望みはみんなで一緒に仕事をすること。普段は離れていても、年に一度のライブでも、みんなそろって765プロという家に帰ること。




TV版ラストはそんな春香の望みに全員が気づき、自分たちにとっても765という家を失いたくないと自覚することでライブに向かうところで終わる。








別にこのまま終わっても、765プロはそのまま成功しただろう。だが、劇場版ではさらにその要素を突き詰めることを試みたのだ。



「じゃあ、今まで苦楽を共にしたことがない別の人たちが765に関わったときも、君たちはどんな風に団結するんだい?」





不愉快な表現になるが。今回映画にでたミリオンライブのメンバーはそのためのダシに使われたと言ってもいいんじゃないだろうか。




自分たちの常識が通用しない。自分たちと同じくらいの意思の強さを持っていない。そんな数歩後を遅れてついてくるグリマスのメンバーたちをまとめることはとても困難だった。



春香は優柔不断と言われながら、その意思はとてつもなく強固で、それを見せ付けられる人間にとっては脅威のようなものだ。何度やめたいと泣いても「アイドルって簡単に諦められるものじゃないと思う」と言う。志保にどれだけ追及されようと、可奈の気持ちを確かめるまでは譲らない。



765の他のメンバーはそんな春香のことを知っている。そんな春香が自分たちをつなぎ留めてくれたからこそ、今の自分たちがある。彼女の性格に助けられ、だからこそ彼女を一番のライバルだと思っている。




この心情をグリマスの子達が理解できなかったのは当たり前の話だ。春香はリーダーとしての責任感と自分のエゴの間に揺れ動き、美希や千早、伊織の言葉に助けられて自分のエゴをとった。この物語の解決は、春香がエゴを押し通し、言葉と行動の限りを尽くして他の子達を従わせたことによるのだ。



だが、俺はそれを悪いとは思わない。
春香の選択によって成立してきた765プロが、再び自分たちの原点を思い出しただけのことだ。
グリマスの子達はこれから道を別にする。春香の背中を見て、自分たちはどうするのか、これから考える余地がある。




人に関わり、人に何かを教えることは、一本の正解をマニュアル片手にこんこんと説くことではない。自分という人間を、自分たちという組織と仕事を提示し、その上で考えさせる。相手には理不尽に感じられても、エゴだと思われても、これは必要な行為だ。





春香と765のアイドル達はその点で自分たちの責務を果たしたのである。


俺はその深い業に向き合い意思を込めたアイドルたちと、団結という問題から一度も目を逸らさなかった製作スタッフに、ただただ賞賛の拍手をおくろうと思う。








/以下雑記


いおりんいなかったらこの映画やばかったでしょ!というくらい伊織の仕事量がずば抜けている。



春香に対しても、志保に対しても、フォローのタイミングが適切すぎて何度もGj!と拳を握りそうになった。志保の発言をたしなめる「そんな言い方してほしくなかったわ」の表現はすごい。これ、叱り方としては最上級のセリフです。



志保が春香を追及している間ずっとうつむいていた千早。あの演技は本当によかった。…おそらく昔、こんな問題が起こったときに噛み付いていたのは彼女だったろうから。春香が弱音を吐いたときもすぐに返さず、少しだけ考えて「春香のしたいように」と言えるようになった。おおきくなったなーちーちゃん。



合宿所について車を降りた響きの服を見て「青いチェックのワンピース響ktkr!!」と歓喜した瞬間、下にレギンスを履いてて落胆したこのやるせなさよ。というか衣装もかわいいし、髪形も変えてもらったし、もぐもぐ顔まで見られて響ファン大興奮だったんじゃねーか?



あまとうに大しては春香さん敬語なのね。なんか萌えた。
そのあと「チャオ!リボンちゃん」で盛大に吹いた。作画もくずれてて吹いた。





モバマスキャラでアイマス劇場版感想殴り書き by mina on pixiv



後の感想は大体↑に。






エンドロールのワンカットで凛登場。


なんとなーくだけど、シンデレラガールズは765と道を違えるような気がする。グリマスはCDにも必ず765メンバーを入れるけど、モバマスは絶対にそれをしない。765はやらないけどモバマスは総選挙をする。同じアイマスというくくりのコンテンツではあるんだろうけど、直系の子孫であるグリマスと分家のモバマスで分かれていくような気が最近すごいするのだ。

修羅の門で言うなら陸奥と不和的なカンジ。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q について


pixivをメインにしてこちらを全く活用しないまま一年近く時間がすぎまして。

いや、もうすいません。




ヱヴァQを見てきたんですが、いろいろモヤモヤが残っているので文章化してまとめようかと思います。




当然ながら以下ネタバレの嵐ですので未見の方はご注意下さい。








































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初見は公開当日だった。


とにかく内容を追うことに必死で、映像美を堪能する余裕もキャラクターを愛でる余裕もなく。
そもそもヱヴァレベルの映像は自分の老眼には追いきれるハズもなく。


上映終了後に一緒に見た友人と激論を交わしつつ、それでも晴れないもやもやを抱えもう一度劇場に行き、一週間ほど経過した。




…まとめにはいる。



1/ 不親切な映画だ。


エヴァンゲリオンという作品にはとにかく”考証”がつきものである。
もともと作品の設定に対する説明が不足気味、どころか全くなされないことが多く、その内容をちまちま考えるのが好きな連中でひしめいている。

自分は一切興味がない。




それは庵野秀明自身が、「この演出方法は『衒学』なんですよ」と宣言していることも理由の一つなのだが、そんなもの気にしなくても人間関係だけで話を理解できたからだ。



しかしQはわからなかった。セリフを追って言葉を理解しないことには、今何が起こってどこに進んでいるのか理解できない。


ミサトとリツコが率いるWILLEなる組織もNERV=神経、seele=魂、WILLE=意思という語意の対立構造を理解していないと、何をしているのかわかり辛くなる。

アダムスの器を初めとする単語は、カヲルのお喋りでも多用されている。中盤以降のシンジに対するカヲルの語りかけはほとんど内容が伝わっていない。首輪で爆散するその寸前まで一人語りを続けるカヲル。「何を言っているのかわからないよ」と叫ぶシンジ。


14年後の世界に目覚めてしまった碇シンジは当惑する。説明を求める。だが誰も教えてくれない。それは観客も同じことだ。シンジと一緒になって「この人たちは何を言っているんだ?」と頭を悩ませるハメになる。



意図的な難解さであると同時に、中身を理解しないことには話が進まないというタチの悪さ。
エヴァンゲリオンほどのブランドでなければ観客は耐えてくれないと思う。







2/ ”シーン”の切り貼りになる映画の魅力と危険性


これは各所で散々に言われている。



設定が詰められている映画ではあるが、シナリオ上の整合性はとことん犠牲になっている。
あんまりそういった点が気にならない自分でも少し異常に思えた。


DSSチョーカーのCG映像をバックにリツコは「シンジのシンクロ率は000.00%」と言い切った。
終盤シンジは何事もなかったかのように13号機に乗り込み、搭乗中にカヲルの接続を遮断して一人で操縦しているのである。

「カヲルがいたから」ですませるにしても理屈が通じなさすぎる。コアにユイがいるでもないのに奇跡がほいほい起きるとは思えない。


そもそもシンクロ率の説明は必要だったのか?
「フォースインパクトを起こす兆候が見られたらこの首輪で爆死させます。エヴァには乗らないで下さい」で十分だったはずだ。




あのセリフが持つ役割はただ一つ。カットの引き締めなのだ。
爆死の危険性を訴えるよりも「あなたのシンクロ率は0」と言い切ることで観客に必要なインパクトを与えられる。0と言い切られることによって見る側が安心するのである。




設定の濃密さとシナリオの不整合の抱き合わせ。
この演出が成功する鍵はただ一つ、カットとシーンが魅力的であることだ。

Qの映像美は絶賛されている。


しかし見続けるのがキツイ内容だった。

シーンの展開が少ない、あったとしてもほとんどが説明ゼリフのオンパレード。中間に山ほど尺を盛り込んだシンジとカヲルのイチャラブ(?)展開。
エヴァ独特の会話は一方的な説明の後、キャラクターの個人的な心情を吐露させて肉感を盛り込むことだった。それもない。

シンジと同じ情報を観客に共有させ、さらに閉塞感も共有させるために演出は平坦だ。
加えてカットの色合いそのものがほぼ赤。
色彩の乏しさも平坦さに拍車をかける。
初代ガンダム並の色鮮やかさがエヴァの武器の一つだったはずなのに。

カットが地味になるだけで、こうも見辛くなるのか、と驚愕してしまった。






3/ なんでまたシンジを追い込むんだ?




そろそろ面倒な話はやめようと思う。




自分がリアルでエヴァンゲリオンを見たのは12歳のときだ。

今結構に年を食ってしまった。
その過程で旧エヴァが、「自閉症のような少年碇シンジの物語」ではなく、「周囲の大人によって何度這い上がっても叩き潰される少年碇シンジの物語」だと気付いた。


いつしか、一人の観客でありながら彼の身を案ずるようになった。
陳腐な言葉を言えば、親のような気持ちを持っていた。


序、破と見続ける過程で、旧番のままならなさを知っている自分は、安堵のような祝福とも言える様な気持ちを抱いた。



シンジはスタート地点からあまり変わっていない。

大人達が、特にミサトが違っていた。

むずがる彼の手を引いて、自分達の戦う意義を見せた。子供とかかわることは、どんどん無様に自分をさらけだすことだ。

3号機暴走事件のあと、弱々しくもシンジを引き止めたミサトの心は伝わっていた。

レイを助けるときも「いきなさい!」と言ったのはミサトだった。




Qまでの14年の間に何があったのかは知らない。
だけどミサトはシンジを呼び戻した。
DSSチョーカーの起爆スイッチを押せなかった。
それならどうしてシンジを突き放したんだ?



最終話に向けての伏線にしても。起承転結の転なのだとしても。

あんまりだと思ってしまった。 
これがQに抱いてしまったもやもやの最大の原因。



ミサトさん、あんただけは絶対に手を離しちゃいけなかったんじゃないか?


ネグレクトだめ、絶対。




4/  アスカという救い



この映画にアスカがいなかったら、と考えると本当におそろしい。


もちろん彼女はシンジをガキとののしるばかりで追い込む一要因にしかなっていないのだけど。
ミサトのかわりに彼を最後まで追いかけてくれたのはアスカだった。



ただ見捨てられていたのは彼女も一緒だった。
シンジは姿の見えない綾波を追いかけて行ってしまった。




カヲルを失ったショックで動けないシンジに


「私は助けてくれないんだ?」と問いかける姿が切ない。

だから絵を描いてみた。






5/  雑書き



冬月さんがシンジのお父さん説とか色々出ているけれど、あまり気にしないで次回を待とうと思う。

黒波さんがぽか波さんよりもずっとワンコワンコしていてかわいらしい。
序盤のヴンターで若者年寄りの隔絶が描かれていたのは次に期待。


カヲルくんはもっとタレ目でいいと思う。
「元気すくないね」はきゅんときた。


ゲンドウさんサイクロップスになってたけど改造人間になっちゃった系?


マリちゃんの必要性がいまだに見えてこない。

新規プラグスーツとコネメガネから察するにアスカは初代マン。マリはセブン。
と特撮オタクに言われた。そうらしい。


作画が貞元絵というよりぼくらの?鬼頭っぽくて違和感。率直に言うとかわいくない。







最後に

ナディアのBGMでテンションが上がりすぎてこまった。
こんなにナディアが好きだったのかとびっくりした。

久々にまどか漫画






こんな他愛のない妄想なら山ほど吹き出てくる。


放送開始から一年近く経ってますけど未だに熱が冷めたような感じがしないです。pixivに上げても反応が段違いですし。

劇場版も控えてますし、もっと色々コンテンツ増えたらいいなぁ。
あ、PSPのゲームがまだか!

いつもマミさんメインにしたいのに杏子がメインになる不思議。
いつの間にかマミあんとタグがつく不思議。

そして一度もさやかを描いてない不思議。

WHITE ALBUM2







話題沸騰のWHITE ALBUM2をコンプリート。






初代WHITE ALBUMから13年、まさかの佐藤博暉脚本によるアニメ化から2年、最後に待ち構えていたのは、まさかまさかの丸戸史明シナリオによる完全新作『2』でした。


やり始めたが最後、ラストまで突っ走ってしまいました。
ごくごく稀にそういったクリックゲームに出会うことがあります。





[1/21:追記]


実はこのエントリーを上げた時、一緒に感想も書こうと思ったんです。

しかしながらどうしても出来ませんでした。登場人物と物語の錯綜が著しい上に、先を急いでかなり流しプレイしてしまったために、うまいことまとまらなかったんですよ。



あまりの悔しさにもう一度プレイしてしまいました。音声のみで雪菜シナリオを流しっぱなし。



そんなわけで、丁寧語を省いて感想書き殴りたいと思います。
ネタバレを過剰に含みますので、行間を空けます
























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/思いやりとエゴ





三角関係モノの金字塔「君が望む永遠」第二部が、過度の思いやりによってエゴを通せなくなり、遥と水月との間をふらふらさまよう鳴海孝之の物語であるならば。


WHITE ALBUM2メインの三人は皆一様に相当なエゴイズムを抱えており、それを思いやりという膜で包み込んで互いに接している。見ようによってはかなり鼻につく物語と言えるのだ。





自覚はあるがこれは暴論だ。WHITE ALBUM2は相当緻密に練りこまれた感動の物語であるということを否定しない。一切貶めるつもりはない。しかしその感動の裏側には、彼らの相当に醜いエゴイズムと脆い気遣いが絶対不可欠であると思う。




このストーリー上の特徴を一手に担うと言っても過言でないのが、大団円ルートのヒロイン小木曽雪菜だ。





第一部、既にかずさに首っ丈だった春希を雪菜が強奪する(ひどい表現だが。

雪菜は過去のトラウマから、仲間外れを極端に嫌う。春希がこのままかずさに向いてしまえば自分は置いていかれてしまう。だから春希をつなぎとめた。そう説明するのである。


だが当然そんな供述は嘘っぱちだ。それが真実であるならば、学園祭終焉後に二人きりになったかずさに「そんなのってない」と言うのか。空港で脇目もふらずにかずさに向かっていった春希に対してあそこまで涙するのか。


しかし、「三人でいたい」という言葉にはもう一つ言外の、ポジティブな意味がある。


雪菜のエゴイズムのもっとも面倒なところは、春希を自分のものにしたい、という心とみんなが幸せでなければ嫌だ、という心の両方を臆面もなく掲げてしまうところなのである。


彼女の「三人でいたい」は、「みんなと幸せに笑いあっていたい」というもう一つの欲望の表れなのだ。



雪菜の抱える矛盾じみた感情は、第一部の劇中でかずさに看破されてしまう。クリスマスの夜、旅館での語らいのシーンがそれだ。かずさははっきりと言う。「それは自己中心的だ」と。まだ学園生だった雪菜はその指摘に、最後まで曖昧な反応しか見せなかった。




そして第一部の終り、春希に裏切られ、目前でかずさとの深い絆を見せ付けられた雪菜は、彼を責めないことを選択してしまう。

それは彼を失う恐怖という名の独占欲であり、ここで彼を責め、放逐し、不幸にしてはならないという気遣いでもあった。



雪菜は春希を責めるべきだった。「何故裏切った」と。「そんなにかずさが好きなら一緒にウィーンにでも行ってしまえ」もしくは「あんな女は忘れろ。私がお前を幸せにしてやる」と言えばよかった。そうすれば春希は罪悪感を持ったまま雪菜をもてあまさずに済んだ。

もちろんそんなことをすれば「はいそうですか」で物語が終ってしまう。
この、なんとも言えない苦い選択が、物語を重厚にするのである。




第二部に話を移そう。



雪菜ルートを進めていくと、雪菜はより内心の見えにくいキャラクターになってしまった。

どれほど春希を気遣おうとも、彼は自分をもてあます。愛しているのにすがることも出来ない。気遣わなければ、という義務感と自分の感情に嘘をつき続ける過程で磨耗し、ついには春希そのものを失ってしまえばいっそ楽になれるかもしれない、という領域まで来ていた(中盤の「もう振ってよ…」がその表れか)


一応第二部Closing chapterでは、どのヒロインを選ぼうとも、雪菜とのクリスマスイベントは通過しなくてはならない。「おもしろおかしい記事にして利用してやるくらい、自分の中でかずさは思い出になってしまった」と嘘をつく春希。そんな『雪菜に向き合うための苦し紛れの嘘』を与えられると、今度はまた別の感情が噴出してしまう。

あのホテルでのエピソードをまとめるなら、「記事の中でさえかずさに惚気まくっているのに何を言ってる。今まで私を散々放っておいて、私に気遣いだけさせておいて、嘘をついてまで好きだと言うな」と主張しているわけだ。

至極最もな主張だが、それなら第一部での彼女の非もまた、責められるべきだろう。



第二部雪菜ルートをプレイしていてもっとも戦慄したのは、このクリスマスイベントの後、二年参りの酒盛りシーンで依緒が雪菜に対して切れるところだ。
上述したことと全く同じ指摘が依緒の口から発せられるのである。



この後雪菜との電話で春希の口から「それでも雪菜が大好きだから」という言葉が飛び出し、一応落着するのだが、彼女の問題は未解決のまま置いておかれる(この時点で春希の感情は一応決着している)。




彼女に転機を与えるのは春希ではない。
友人である依緒や武也でもない

そのキーマンこそが柳原朋である。



ありていに言えば、朋は雪菜の化けの皮を引っぺがしたのである。
周囲に対して取り繕う余裕をなくさせた。歌を忌避する逃げ場をなくさせた。

エゴを隠したいい人でいられなくさせたのだ。


朋自身はそのことに対して自覚があるわけではない。彼女はただ、雪菜と友達になりたい、雪菜に歌って欲しい、という一点でのみ行動している。しかしながら、友人に対して悪意も善意も含めて感情を剥き出しに接するという経験がなかった雪菜にとっては革命的な人物だったのだろう。

春希はそれを嬉しそうに「悪友」と称したわけだが。


朋によって変革した雪菜は、今までたまった鬱憤や愛されたいという願望をどんどん春希にぶつけるようになった。バレンタインコンサートを経過後はもう留まることなく愛情をねだるようになる。今までのゆがんだ気遣いはなりを潜め、等身大の小木曽雪菜が顔を出すのである。


この痛快な成長をもって第二部の雪菜ルートは終了する。






そして最終章、codaの雪菜大団円ルートについて。

もうほとんど書くことがない。


第二部から二年を経て、雪菜は相当に成長している。春希の嘘に腹を立てる。かずさへの愛情をごまかすために自分に逃げる春希を叱咤する。彼女は素直に自分への愛情を求めてくる。


それに留まらず、第三部での彼女はもう一つの欲望を全開にしてくる。

「みんなが幸せであってほしい」

消極的な気遣いではなく、彼女は積極的に自分の欲望をふりかざす。自分も、かずさを思う春希も、春希に囚われている雪菜も、全部救いたい。迷いなく行動する。


第二部までの駄目女を散々に見せられたプレイヤーはこの小木曽活劇とも呼べる展開に腹を抱えて笑い、涙する。

ビンタを張り合うほど本音で語り合うことができるから、それでも決して見捨てないからこそ、かずさは春希だけではない多くの人々に目を向けるようになる。


つけ加えて長らく断絶していた春希の両親にすら彼女は幸せの手を伸ばす。それが物語のラストシーンになる。




WHITE ALBUM2の大団円とは、まさしく小木曽雪菜の成長そのものを指す。


物語は中途半端な思いやりによって抑圧されたエゴによって複雑化し、
枷の外れた素直なエゴが登場人物皆を救って終了する。






恋愛三角関係モノの皮をかぶった驚嘆すべきプロット。そしてプロットに基づいたおそろしく緻密な登場人物の性格設定、伏線の張り具合。

それを説明しようとするとどうにも長文にならざるを得ないし、話があちこちに飛んで読みづらくなってしまったのは本当に申し訳ないと思っている。

しかし苦痛に耐えてこの文章を最後まで読んでいただけた方は、是非内容をふまえてIntroductory chapterからcoda雪菜ルートまでをもう一度やり直してみて欲しい。



丸戸史明のライターとしての実力は言うに及ばないが、過去類を見ないほど練りこまれた超意欲作であることがおわかり頂けると思う。
一人でも多くの人が、この物語を楽しんでくれますように。








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月刊アニメスタイル購入




なんだかコミケもないのに中途半端に忙しく、ネームは進まないしでぐだぐだですが、久々にカラーイラスト。半端なアニメ塗りをしてみています。








月刊アニメスタイル第四号を購入しました。


人生初のフィギュアが机に鎮座してます。ねんどろいどってよくできてるのね…技術コワイ。





どうやら機動戦艦ナデシコの続編が永遠にない、というのは早とちりだったようです。しかし監督インタビューの内容を読んでいると、続編どころかTV劇場共にかなりギリギリの状況で作られたアニメだったようです。


もしかしたら今の時代に合わせて作り直すという選択もありなのかもしれません。それだけ濃密な脚本だった。TV版もよくできてますが、エヴァ後の不遇
な扱いが残念だった、とみんなが思っているなら、できそうじゃないかしら…。

久々にお知らせ&WORKING'!!のはなし

といっても文字だけで失礼します。



えー、冬コミ、落ちました。

さてどうしよう…劇場版の前にストライクウィッチーズの本出したかったんだけどなぁ。


多分、分割してpixivにあげるかすると思います。コンテは半分以上できてるので。本にするかは…まだちょっと考えてません。これから環境が大きく変わってしまう可能性があるので。









WORKING'!! がすごい。そう。二期です。


今期話題沸騰、劇場版並の異常クオリティを誇るFate/zeroも面白いんですが。あえてWORKINGに注目しています。


一期はテンポのよさと明るいBGMでポップにせめていたワーキン。
原作四コマの魅力をそのままに、こまめにアイキャッチを入れ、視聴者を引きずり込む堅実な戦略をとってました。いや、非常におもしろかった。


そもそもTVの映像作品というのは、実写アニメを問わず、台詞を重視してテンポを短かめにすることで視聴者をつなぎとめます。TVドラマは最も顕著で、最悪画面を見ていなくても耳だけで展開を把握することが出来るようになっています。



しかしこの二期、とにかくキャラが喋らない!



泉姉さん中心の3話、そして腹ペコ店長の回、5話。BGMなし、ゆっくりと丁寧にキャラの動きを表現することで緻密なアニメーションを構成しています。カメラも遠めな全体像を中心に据えられており、映画並みの奥行きを作っています。

これは相当アニメーター殺しというか、バストアップ多めな原作の省エネ画面に比べると圧倒的な情報量が必要になります。この規模の演出をいくら1クールとはいえTVシリーズでやっちゃうのか!?と驚愕した次第です。



1話の先行公開時には「なんかテンポわるいな」とイマイチな反応だった視聴者も反転。のったり動く泉姉さんやまん丸ほっぺをもむもむ動かしてケーキを頬張る幼女の魅力にやられっぱなし!


勝手にふられた気になって瞳をうるませる井波の描写には鳥肌がたちました。




もうね、画面から目を離していられないんですよ。じーっと見てないと展開がわからない。それ以上に、魅力的なキャラのアニメーションを一瞬でも見逃したくない!ニコニコの放送で二回くらい真剣に画面を凝視する日々。



一期がおもしろかったから二期もおもしろいに違いない!というあたりまえの期待を、すごい勢いで裏切られました。いい意味で。本当にいい意味で。




お勧めです二期。是非皆さんご覧になってください。







しかし山田が無駄に可愛く描写されてるのがウザイ。元々原作ではただただウザイだけだった(ほめてますよ)山田が、一期の絵と中の人効果でやたら可愛くされたのが鼻について鼻について(ほめてますってば)。二期ではついに音尾さんにまとわりついたりEDでアップになりすぎて見切れたり、プッシュされすぎです。プッシュされすぎですよ。山田の分際で!(ほめてますからね)

本当に、山田のくせに生意気だ!(ほめているんです!!)
あんなの山田やない!広橋や!











Fate/zeroもおもしろいんです。ただもう少し展開を見てからブログにレビューのようなものを書きたいですね。

pixivがゼロまつり状態でなんだか複雑な気分。もうTYPE-MOONの隆盛はないだろうな、と勝手に諦観していたのが嘘みたいです。ゼロは女子の食いつきがすごくいいのに驚き。ウェイバー君萌え、とか金剣萌え、とかディルムッドさんはぁはぁとかよくわかってんなーと脱帽です。



…欲を言えばOPとエンディングにもうちょいマシな唄をもってこれなかったかしら、と思ったりもするんですけどね。ステイナイトのアニメの方が唄が立っていたような。樹海って今活動してるんでしょうかね。