新機動戦記ガンダムW

何ヶ月ぶりだろうかというイラスト連投だああああ



ヒイロくんです。ウイングの。



思いつきで、ガンダムWを見てみたんですよ。本放送以来なので何年ぶりだ…?

新鮮な驚きが山ほど詰まっていたので、やっつけとはいえヒイロくんを描いてみたわけです。

本当に舐めくさっていた。こんなにドラマとして面白い作品だとは思わなかったマジで!

そんなわけで独自解釈、Wの魅力を列挙してみたいと思う。





/少年達はヒーローでも兵士でもなく”テロリスト”であり続けた



Wのスタート地点はUCガンダムと同じ。地球と圧政に苦しむコロニーの相関関係が前提となる。違うのはジオン公国のように、地球に対して宣戦布告をできるような軍事力をコロニー側は持っていないということ。

ならばどうするか?

「テロしかないよね!」

つーわけで子供達にひどい訓練を施してガンダムって一撃離脱のオモチャを与えて地球に送り込みました。というひどい設定だ。



巨大勢力に武力闘争を挑むことで、状況が改善される例は少ない。ましてテロリズムという体裁をとってしまったが最後、体制にそれを叩き潰す口実を与えることになる。百害あって一利なし。というただでさえ不利な状況にある。

そのうえ、少年達は孤立しており、それほど頭がよろしいわけでもない。連合過激派(後のOZ)にはトレーズという知将がいたために、その存在を利用されてしまう。


少年達は連合過激派を叩いているつもりが連合内のハト派を一掃し、闘争のシンボルとして槍玉にあげられる。これが最初の敗退。




過激派はトレーズを旗印としてOZと名を変え、地球圏では武力制圧、宇宙では友和政策という二重方針で統一を推し進める。OZの政策にがらりと態度を変えるコロニー住民の姿に、少年達は戦うべき相手そのものを見失って彷徨うことになる。


でしゃばりすぎたトレーズはロームフェラ財団の総会で失脚。財団はモビルドールを主軸とした武力制圧方針に再び転換、かつての連合よりはるかに過激な恐怖政治に突入する。


このころリリーナを元首にサンク・キングダム台頭。一度はつぶされるものの、リリーナの思想そのものは地球圏の内部や、ロームフェラ財団の内部にも浸透してゆく。


ガンダムWの世界では、政治組織、陣営を問わず、一枚岩の組織は一つもない。どちらかを叩けばどちらかが立つ。そういった展開は全く見えない。繰り返される闘争のなかで、戦争そのものに疲れた人々が、リリーナの(をシンボルとした)平和思想を受け入れていくのが第二部だ。


少年達は、リリーナの存在によって、存在意義そのものを奪われていくのである。彼らは、どのように戦争に折り合いをつけるのか。


今政治組織が揺れ動く間にも、モビルドールによる虐殺は行われる。一方的な武力制圧を個別に阻止、撃破するのが己の役割と割り切るのである。


コロニーがホワイトファングとして立ち上がり、最後の戦争が始まって以降も少年達の立場は変わらない。組織そのものに信をおけず、人々の非一貫性を見せ付けられた少年達は、悲劇を生む「闘争」そのものを「敵」と認識して双方に戦いを挑むのである。


かくして彼らは体制の尖兵であることを望まず、時代の英雄になることも拒否し、ただ闘争に対する「テロリスト」としてのみ生きた。



…まぁある意味理想主義過ぎる話の展開なのだけど。それはリリーナの存在や、トレーズの統率力、ミリアルドの過度な自己犠牲精神も含めたガンダムウイングの特性の一つだ。

しかし、「ぬるすぎワロタ」で済ませるには、あの世界観には反例が多すぎる。リリーナは財団に翻弄され、ドロシーに嘲笑され、トレーズによって失脚した。「一つの理想に必ず反例を用意すること」多分これが脚本のルールだったのだろう。


それが複雑な多重構造を生み、主人公達すらも翻弄させ、…視聴者に???マークを叩き込んだわけだ。ガンダムウイング中二病全開のキャラが電波なやりとりをしている作品、以上に認識している人間は少ない。キャラのわかりやすさは多重化する物語に必要な”餌”であり、入り口なのである。








/ 男の道具ではない。しかし、母となりうる女達。



ウイングといえば男達、なのだろうが、本当に魅力的(というより美化されすぎている)なのは女達である。





ノインはまさしくその典型で(しかしゼクスノインとか狙ったとしか思えないんだが)。

ノインはスペシャルズの新人教育担当であり、ゼクスに「私に甘えにこい」とかひでーことを言う上に、無茶をやらかすトロワに「もっと別のことを心配しろ!」と思わず叫ぶような女である。


体制に異を唱え、自ら最前線に身を投げ入れる度胸と、少年や兵士達の育ちや行く末を案じ、戦い疲れた男の受け入れ先ともなる。


これがノインだけならまだいいのだが、ウーフェイにとってのサリー。トロワにとってのキャスリン(まぁキャスリンは積極的に戦いはしないのだが)も含め、彼女達はみな包容力にあふれ、物怖じせずに行動する女達だ。



完全に出来すぎた女達なのだが、ウイングの男達が行動力にあふれすぎる上に過度に自暴自棄的かつ精神的にヘタレなため、奇跡的なバランスを作り上げている。





/闘争にたいする憎しみを一つに集める。”プレ”コードギアス作品



最後の展開がまんまギアス。ではなく、ギアスの展開がまんまウイング。

テロリズムから始まるアンチヒーロー。決して一枚岩ではない組織展開。多重化して泥沼化する闘争。

かといってギアスが劣化ウイング、というわけではなく、多重化構造作品は、例外なくこういった結末にいかなければ、収集がつかないということなのだろう。…もののけ姫もこの形態か。


ただ、自分の知る限り、TVアニメーションでこういった作品をやったのはウイングが史上初なんじゃなかろうか。














すげー長くなった!というか、ウイングは作品として難解すぎるために説明が長くならざるを得ない。



さっき言った通り、もしもガンダムウイングを「中二病キャラクターが電波台詞をやりとりする腐女子ご用達ガンダム」と思われている方がもしもいたなら、もう一度、キャラクターのセリフ一字一句に注目して見直していただきたい。


…あれ、この子達実はすげーまともなこと言ってるんじゃない?と思えてくるかもよ