地震からのこれまで

えーと、今は朝なんですが、ぐだぐだ書きなぐりたいことがあるので久しぶりにブログを更新します。



あまりおもしろくない内容になる、と前置いておきます。





まずは、今回の東北関東大震災、被災された方々と今に至るも次々湧き上がる問題に苛まれている方々に祈りを。祈り、というと多分に無責任で情けない響きですが、祈らずにはいられないので祈っておきます。自己満足です。同情するなら再建する金を出すかそれにつながる仕事をしろ、さもなくば己の日常を取り戻せ。それに尽きると思います。








3/11日に起きた地震以降、自分の住んでいるところでは物流が荒れに荒れ、人々は保存食の買占めに走りました。

計画停電が発表され、実施されるという初日にも、開いているスーパーでは通路の半分が客で埋まるという事態が起きていました。仕事をしてるんだか、買占めに走っているんだか、よくわからない車が往来で渋滞していました。やたらレトロなジープが交差点でエンストを起こして止まっていました。

いつ停電になって信号がとまるかわからないのに。そうなったらこの車の群れはどうなるのだろう。ちょうど暇だったので散歩をしながら、そんなことを考えていました。






そうこうしている間も余震は続きます。茨木や東北とは違って、数分に一度のレベルではないですが、気を抜くと地震が来ます。


驚いたのは、たったそれだけのことなのにやたらストレスがたまるということです。


水がとまったわけでも電気がこないわけでも、ガスがないわけでもない。食い物は贅沢言わなければ何かしら食える。生活する上での問題も、死の危険すらない。なのに妙な気疲れがどっしり体に降り積もっていくのです。



部屋にいる間はひたすら、TVやネットで状況を数時間毎に確認。携帯には緊急災害警報(これがやたらヒステリックな音なんです)が入ってくるし、延々と緊張状態が続いていたんだなと今となっては思います。



気を紛らわすために絵を描いてました。特に救われたのはツイッターでした。リアルな声が聞けたこと、そして空気を変えようとわざとアホな発言をしてくれる人たちに笑わせていただいて、数日を乗り切りました。






しばらくはよかったんですが、やはり食料が不足してきました。菓子と酒はありましたがそれ以外がほぼ全滅。コンビニはすっからかん。スーパーは閉まってしまいました。いい加減、米を海苔と醤油で食うのに飽き飽きしていたので、地元に帰ることにしました。元々帰省する予定だったのをちょっと早めただけでしたが。


夜行バスが出る新宿に向かう間に、人身事故と強風で電車が二度とまりました。


地元に帰ると、同じように関東から非難してきた友人と落ち合い、状況を報告しあいました。話しているうちに、自分が何かにウンザリしていることに気づきました。それは地震からの閉塞した日々であったり、目前で繰り広げられる買占めや流言蜚語の類であったりです。悔しいながらストレスも相当なものだったようで、帰省して数日は胃が痛くてろくに食えませんでした。

逃げ場があっただけ全然マシなんですがね。それだけに悔しいわけです。自分は被災した人間ではない。地元に戻ってゆっくり休むこともできる。それなのに勝手に胃を痛めてる。何をやってるんだろうといった具合に。




この帰省、ある祝い事のための帰省でもあったんですが。祝いの席で出されるおいしいご飯も、おいしい酒も、まともに味わえませんでした。だって痛いし。吐き気こらえるだけで精一杯。祝われているのは自分なので胸悪い顔をするわけにもいかず、家族の前で笑顔を取り繕う。なんだか色々台無しな気分でした。







今、混乱の3月を思い返してみると。
この災害によって、間接的にではありますが、いろんなものを滅茶苦茶にされました。

友人は実際に被災し、より多くのものを台無しにされました。


被災地の方に至っては言わずもがなですが。それほどに大きなことです。離れた地域に住んでいる方も、いろいろな影響があると思います。その重圧は、そこに在るのだ、と断言することはできます。






今ではある程度落ち着き、物流も回復しつつありますが、原発に関連して問題は範囲を広げています。専門性が高いせいか、突拍子のないデマや、根拠があるんだかないんだかわからない言説も飛び交います。野菜や魚や水はどこまで大丈夫でどこまでアウトなのか。判断がつきかねるのが正直なところです。


それでも、街にでかけてみると、笑顔で道を行きかう友人同士や男女、服屋で鏡に向かう人、飲食店でゆっくり会話をする人を見ると、なんとなくほっとします。世の中には自粛ムードなんて戯けた言葉もあるようですが、こんなときだからこそ、楽しいことを楽しめるときにやってほしいもんです。


桜がぼちぼち咲いてます。暖かい晴れの日だったので、人がたくさん見に来てました。













心境を整理するために、というより吐き出すためにつらつらと書きました。

こうして日常を取り戻していく光景を見ると勇気付けられるのですが。







どうみても老い先短い老人が安全な水を買い占めたり、地震後間もなくお涙頂戴の被災地特集が組まれたり、反吐が出る事態は以前として目につくのでした。政治や企業はいつでも対処を変えません。本当に炙り出されるのは民衆や個人の振る舞い。見えてくるものがあります。









さ、愚痴はこのくらいにして、またブログであほなことをほざく毎日に戻りましょうか。