魔法少女まどか☆マギカ 総括(11話、12話感想)

実はこのブログ、まどかの感想を10話まで書いて、それ以降放置してました。



なんとなく、書こうとしては躊躇してを繰り返していた記憶があります。そうこうしている間に同人誌の内容を考えねばならない時期がきたりして。



というわけで、11話、12話というくくりではなく、総括としてこの物語の感想を書きたいと思います。


ネタバレを含みますのでこれ以降は気をつけて下さいな



































/結末



まどかは神様になって世界を作り直してしまいましたとさ。



と、単純に表現するにはこの結末は色々なモノを包含しすぎていると思うのです。いわゆる「セカイ系」といった言葉に代表されるような、自分対世界(という名前の自分以外)で完結した狭い世界とは明らかに異なると思うのです。






そもそも、まどかがこの結末を選択できた一番の理由は、ほむらが類稀な精神力の保有者であり、まどかのためにと世界を繰り返してきたからです。これはまどかが魔法少女になる因果を強めましたが、同時に彼女の行使できる力を大きく、強くしていきました。



もう一つ、大きな要素があります。それがまどかの母の存在です。
まどかは母によく相談し、父に母の生き様を説かれてきました。ほむらによって契約を妨害されている間、じっくりと考え、悩むことができたのは母との良好な関係があればこそなのです。



最後の一つは、杏子の存在だったんじゃないかと個人的には思います。
さやかを救うために、たとえ見せ掛けの希望でもそれに向かって戦う彼女とのやりとりは、まどかの心に大きく爪痕を残したのではないでしょうか。




物語の初め、まどかは自分のことをひどく卑下する女の子でした。


まどかが魔法少女と関わるようになってからの短い間に、多くの人間との出会いがありました。そこから生まれる教訓(と単純に言い切ってしまっていいのかはわかりませんが)が、見違えるほど彼女を成長させました。傍目には、ただ泣いてぐずっていたように見えたかもしれませんが、その時間を与えられたからこそ、まどかはあの選択をすることができたのだと思います。

多くの人々との関係性こそが彼女を変えた魔法だった。


それこそがエンディングテロップに出た英文の真意であり、まどかだけではない、視聴者にも向けられた力強い言葉だったのではないでしょうか。





/ 「魔法少女まどか☆マギカ」という物語の位置



小規模ではありながら、週刊誌などジャンルを飛び越えて特集が組まれ、視聴者を引き込んで行ったこの物語。



どこぞの人は「00年代エロゲの総括」だとか、「ゆるくて無気力な00年代アニメーションへのカウンター」だと一面的に過激なことを言ってますが、一理はあってもそれ以上はないなという感じがします。





00年代のクリックゲームはループネタや平行世界ネタを好んで使う作品であるほど、作品世界が奇抜すぎたり、登場人物の関係性はきわめて希薄な作品が多く、プレイヤー同士の盛り上がりも小規模かつ閉鎖的なものが多かったというのが正直な感想です。


虚淵玄の作風というものは、バッドエンドが多いということを抜きにしてしまえば、かなり普遍的な要素の多い作家です。外画を見ているような、単純な構成とわかりやすい台詞構成が魅力です。


マブラヴなど、一部の例外を除いて、まどか☆マギカを00年代のエロゲ達と同じ路線に置くのは筋違いというか、そもそも狙う層が違っていると思います。



新房演出でマニアくささが増幅されてるのは否定しませんけど。







多分00年代アニメのゆるゆる…てことで宮台さん(言っちゃった)の言う相手はけいおん!だったりするのかな。

まどかはどちらかっていうと関係性に主眼を置いた物語なので、けいおん!なんかとは反発するどころか親和性が高いと思ってます。ドラマCDサニーデイライフなんかまさにゆるアニ一直線ですしね。ひだまりまどっちって名前で1クールやりませんか?






これだけ多くの人(といっても規模はそこまで大きくない気もします。なんと言っても深夜アニメだし)に受けられる原因がもっとあるとすれば、デザイナーや画面作りに女性が多く関わっていることも重要なんじゃないかと。

単純に虚斑脚本の魔法少女アニメというだけでは、画面が暗く重くなりすぎて、アニメ版ファントムの二の舞になったのではないでしょうか。


魔女の空間や、まどか達の生活の、冷たさと華やかな色使い(ディスク版マミさんの部屋など)が交互に現れる画面構成は、視聴者へのまちを大きく取ることに成功していると思います。



…最近ピングドラムが露骨に女の子女の子な画面演出になってておもしろいんですけどね。









/もろもろ感想


やっと、少しだけ、幸せそうな虚淵に出会うことができた。




ファントム以来のファンとしては感無量です。ジャンゴだけやってないんですけど。鬼哭街沙耶の唄、フェイトゼロと悲しみに泣かされまくってきただけに、今回の結末は素直にうれしいんです。



アニメのシナリオなので、ゲームや小説に比べればより多くの人々作るわけですから「バッドエンドでした」、ではすまないんでしょうが。彼のバッドエンドを書かざるを得ない作風を否定するのではなく、それを乗り越えてこのエンディングにもっていってくれたということがまた素晴らしい。





もっともっと幸せな虚淵玄が見たいですけど。それは、また、いつか。あと何十年くらい経ったら見られるかしら。楽しみにします。







…てなわけで感想も書いたし、コミケ2日目ご来場なさる方は是非当方のブースに立ち寄ってください。なんなら雑談しましょうぜ。