「大正野球娘。」〜混乱と抑圧の時代を生きた少女達の挑戦〜

さて、本日は大正野球娘。の話をします。

なんで今なの?って話なんですが。少しお勉強をしてあの時代の知識を得たので、書いてみたいと思っただけです。昨年末には同人誌も出しましたし。愛着がある作品です。



TVアニメ「大正野球娘。」は小説原作、文字通り大正時代の作品です。



「ひょんなことから婚約者の野球部員に『女は家庭に入って子育てでもしてればいいんです』と言われてぶちきれた小笠原晶子さん(14歳)が、押しに弱い同級生の鈴川小梅さんを巻き込んで野球チームを結成!全国大会を目指す年上の男達に野球で勝つために、仲間を集め道具を集め、土と埃にまみれながら勝利をめざす!だけどもちろん簡単にはいかなくて…」ってな話です。



放映前はノーマークだったにも関わらず、その暖かい雰囲気、愛らしいキャラクター達、失敗を重ねながら着々と勝利に向かい努力、団結していく少女達を生き生きと描いた演出力に評判は上々。放映後にディズニーチャンネルから、「是非うちのチャンネルで放映させてくれ!」とオファーがあったほどの傑作です。…ちなみにこの後、TVアニメ業界では「けいおん!」「化物語」などの登場で……まぁ埋もれるんですけど。


ニコニコとかで再放送しようず!あと朝か夕方に地上波放送しようず!と歯軋りしながら見守っていたわけですが…。まぁこれは余談ですね。


では論点を絞っていきましょうか。



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/明治大正戦前の女性


作品の出発点となるのは、晶子さんに火をつけた女性に対する発言です。
「女は家庭に入るべき」ですね。


最初作品を見たときには「なんつーステレオタイプな”昔の女性観”だしてきたナァ」と多少げんなりしたんですが。実はこれ、時代的に最もホットな問題だったんです。



明治期になってあらゆる物事が、政府主導で改革されていきました。まぁ色々あるんですが。それには男女観、家族のあり方なんかも含まれるわけです。


家族に関しては、「戸主」、つまり一家の長たる”男性”に絶対権力が与えられ、女達はあくまでも家を支え、家のために子をなす”母”であり、夫に忠実な”妻”であることが求められるようになります。先ほど書いた「ステレオタイプな”昔の女性観”」ですね。もちろん産業革命以後、汎世界的に女性の家庭専属という考え方は広まっていくんですが。ここに家制度が加わるのが日本らしいところ。


何が肝なのかというと、こういった女性観が国民全員に適用されるのは、前時代に粛々と続いてきた考え方(という側面がないといったらそれも疑問ですが)ではなく、先に制度ありき、な面が強いということです。旧民法をちょっとチラ見してみても、男女の結婚に当人の合意だけでなく戸主の同意が必要であったとのこと。結婚や生活に男性の意志がつよく反映されるわけです。女性には選挙権もありません。


もちろんこれにキレる女性(主に女性知識人)も大量におりまして。アメリカからフェミニズム流入したこともあって、「婦人問題」として物議を醸していたわけです。平塚らいてう与謝野晶子、今でも名前を知られる人々が、フェミニズム論争に加わっていたそうで。もっとも、こういった思想は体制打倒を謳うものも少なくなく、コミュニズムアナーキズムに走ってしょっぴかれたり、コラムを載せた雑誌を発禁にされたり、問題も沢山あったみたいなんですが…。





大正野球娘。」の舞台となる高等女学校、女子中等教育の教育目的というのは、「良妻賢母」教育でした。経済的に恵まれた12〜16(17)歳の女性がよき妻になるための教育をうける場所。作品内部の女の子達は朗らかでそんなこと微塵も感じさせないのですが、この高等女学校に通うことができるのは、大正期に至っても全女性の一割!まして東京のそれとなれば…。

簡単に言うと、彼女達は女性達の中でもエリート中のエリート、いわゆる「高嶺の花」なわけです。

当然頭は切れるわプライドも高いわで、この階層から専門学校へ行き(今で言うお茶の水女子大)、定員割れした帝大に例外的に飛び込むような女性もいたそうです。いつの時代も向学心に燃える女性というのはいるものですね。


自分達に向けられた教育の抑圧と、持ちえたプライドと反骨精神。晶子さんやチームメイトの女の子達は、能力に溢れ時代に反旗をひるがえす、モダンな女性像の体現と言えるのでした。




大正野球娘。乙女画報」によると、大正七年の時点で女学院の女子野球チームは存在したそうで。
歴史は小説よりも早し?










/時代の圧迫の中で生まれた"同性"への眼差し


「少女の友かして〜」




次の話題にいきましょうか。

大正野球娘。時代考証としておかしい面があるとすれば、間違いなく男女の気安い接触にあります。当時女子に期待されたのは良妻としての面だけではありません。清純であること。美しくあること。「美育(びいく)」なんて戯けた言葉もあったくらいです。「ただしイケメンに限る」とかじゃないんですよ。「美女最高!不細工死ね」が平然とまかり通った時代もあったんです。



清純に、美しく育った女性たちは汚れのないままお嫁にいく。男女交際などもってのほか。この考え方、戦後アメリカ主導で男女共学が始まるまで変わりませんでした。まぁ現代のアニメ作品でそれをやっても窮屈なだけなので、省くのは適切な処理でしょうけど。そんな少し緩めな世界観でも、男女関係に言及するシーンがありました。


晶子さんをキレさせた張本人、岩崎荘介君が小梅さんの家を訪ねた時、小梅さんのお母さんは「嫁入り前の娘の家を突然訪ねるような不躾は二度となさらないで」と言います。歓迎されない面もあった、ということで。






さて突然ですが。エスってご存知です?アルファベットのS。

女学院…同性…S…スール?と即座に結びついたあなたは脳がマリみてに毒されてますのでどうぞ病院へ…

と言いたいところですが、あながちはずれでもありません。

Sはイニシャル。SisterのSです。


これは一体なんなのか、と言いますと。この時期女学院なんかで流行した(?)同性同士の秘密の交流と申しましょうか。そういった関係性の名称なのです。マリみての元ネタの一つですね。
なにやらいかがわしい…と思われる方もあるかもしれませんが。どちらかと言えば重きを置かれるのは「清純な交際」でした。よくあるのは手紙のやりとり。そのレベルだったようです。

このような現象が発生したのには、男女交際が厳禁という状況で後ろ暗さを感じずに恋愛の状況を楽しむことができる、という少女達なりの解決法という見方が一般的ですが。もう一つは、男性の元に嫁いでしまえば終るという清純な少女期を、一種神格化するような営みでもあったんじゃないかと個人的に思ってます。男達の思うがままにならざるを得ない、人妻という生き方へのアンチテーゼ。


このエスを流行させる媒介となったのが『少女の友』『少女画法』といった、少女向け雑誌です。吉屋信子花物語」などを筆頭に多くの作品が生まれました。実際に読んでみると、話の方向性は抜きにしてその描写力、一小説としてのおもしろさ、文体の美しさは凄まじいものがあります。ご一読あれ。





大正野球娘。」作中でも、そのエスを匂わせる、というか露骨にそういう描写がありますね。
登場人物の桜見鏡子は上級生の月映巴に熱をあげてますし、そんな彼女が「『少女の友』かして〜」と旧友の菊坂胡蝶に頼むシーンもちらっとでてきます。

そういった意味でも、時代を反映させた作品だったわけですね。
とは言うものの少女小説全般がエスだったかというとそんなことはなかったはずです。すみませんよく知りません。しかしこういった雑誌は一時期発行部数が15万〜20万部。今の少女誌と変わらないくらいの部数がはけていたわけです。女学生だけでなく、一般の女性にも好まれていたそうで、当時の投書欄には女中さん(下女)からの投稿もあったとのこと。




現代では百合と呼ばれ、マリみて以降(と言い切るのは乱暴かもしれませんが)男女関係なくオタク業界では愛されています。やはり共通するのは生臭い男女の恋愛、性愛ではない世界観であるということ。

おもしろいのは今現在、同性の深い関係(たとえ恋愛感情によるものでなくとも)に価値を置く人が増えているということです。男性が「けいおん!」に代表される、女性しか出てこない作品に熱を上げたり、女性がBLや「ルーキーズ」といった男性仲間モノに熱狂したりするのが往々にして見られます。その原因は何なのでしょう。

女性のBL嗜好が自らの身体に対する嫌悪感から来ている、という見方もありますし(一応紹介していますがそれだけでBL嗜好を言い切るのは無理にもほどがあります)。男性が百合モノや女性限定モノに飛びつくのは、「他の男にとられる危険性がないから」という悪意あふれる見方もあります。




…しかし、特に「けいおん!」などに顕著なんですが、「同性による穏やかな承認」、ある集団の中で遠慮なく自分を出せる、異性に媚びたり駆け引きをしたりせず、あるがまま伸び伸びと生活を楽しんだり、目標に向けて努力したりすることが出来る。そんな自由で、ふくよかな関係性への憧れがあるのではないか、と自分としては思っています。


大正野球娘。」も前向きでアットホームな面がより強調されています。個人的に初期「マリみて」が、どこか入りづらい、潔癖な匂いがするのに対して、「大正野球娘。」は視聴後の「ほっこり感」を大切にしている印象が強いです。






恋愛はステータス化し、生活は「勝ち」と「負け」に別れて、いつだって比較ばかり。少女達のわきあいあいとした生き方は、かつてエスが目指した「純粋さ」に加えて、現代の窮屈な生き方へのアンチテーゼもまた含まれているのかもしれません。


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どうでもいいけど一塁ベースから胡蝶をお辞儀させるという演出はほんとにすごいとおもうんDA!
もうとにかくああいう地味で丁寧な演出のアニメや漫画がこれからどんどん増えてみんなに愛される時代が来ると良いなー三郎はみんなの嫁、しかし胡蝶は俺のよ(ry